1ヶ月ブログを更新して感じたこと
どうも!闇島です!
怪談朗読チャンネル「ヤミツキテレビ」の運営を担当しております!
ブログを更新し続けて、ついに1ヶ月が過ぎました。
本当は毎日更新!!っといきたいところでしたが、ヤミツキテレビの制作や仕事の関係で更新出来ない日も出来てしまいました。
でも、ブログの記事数は40記事は超えてるので、毎日換算すれば1ヶ月を超えている記事数になります!
今回は、ブログを更新する上で必要だなと思ったことや、反省点を書いていこうと思います。
文章を書くのが苦手でも、勉強すればかけるようになる!
正直いいますと、闇島は文章を書くのが大の苦手です。
書いている最中に、考えがまとまらなくなったり、文法がおかしくなってしまったりと読みづらい文章になってしまいます。
何度も読み返して、誤字脱字が無いかもチェックするのですが、それでも漏れがあります(;^ω^)
スラスラとわかりやすく文章が書ける人は、本当に尊敬しますし、ブロガーと呼ばれるブログでご飯を食べてる人は尊敬を超えて崇拝したい勢いです。
ブログ開設当初は、写真ブログということで沢山写真を載せて、文章はそこそこにすればいいじゃんなんて思っていました。
しかし、いざブログを始めてみるとそうはいきませんね。
文章で書かないと伝わらないことも多く、文章を書くということから逃げるわけにはいきませんでした。
そして、いくら苦手とは言っても、みなさんに読んでいただくのだから、わかりづらい文章でOKというわけにはいきません。
わかりやすい文章で書かねば、伝わるものも伝わらないということで、色んなブログや、本を読んで勉強しました。
すると、どうでしょう。
わかりやすい文章を書くという一点に絞って勉強してみれば・・・
文章を書く上でルールができあがり文章が書きやすくなりました!
これは自分としては、驚きというか、今まで自分は文章を書くルールを知らなかっただけで、苦手と思っていたんですね。
苦手な文章を書くということも、勉強すればかけるようになるんだと、発見できましたね。
これは嬉しい発見でした。
(もちろん、まだまだ勉強が必要ですけどね。理想には程遠いです笑)
書きたいことは、尽きないけど書けないことも多い。
いざブログを初めてみると・・・伝えたいことや、書きたいことが湯水の如く湧いてきて筆が進むんです!
ネタが尽きるまで出し切って、出し切った後から本番かなと思っていたのですが、書くことって意外と尽きないものですね!
まぁ、これが3ヶ月・・・6ヶ月・・・一年とかになってきたら「もう書くことがない~!」ってなるのかもしれませんが笑
ただ、中には思いついてもこれは書けないというのもありますね。
Twitterでも書かないと決めていることですが、政治的な話や、宗教的な話はもちろんのこと。
ちょっと踏み込んだ話や、毒が入ったような話もあまり書けないです。
匿名の個人ブログだったら好きに書いてもいいと思うのですが、ヤミツキテレビの公式ブログということで、ある程度の節度を持って書かなければいけないという緊張感があります。
そうした制限があるのもまた楽しくもあります。
あまり好き勝手書きすぎるのもよくないですからね。
デメリットは時間を取られること
ブログを書く上で最大のデメリットは、時間を取られることです。
一つの記事を書くのに大体1~2時間かかるので結構時間を取られます。
ブログを書くと言っても、文章を書くだけではなくブログの背景を調べたり、画像を制作したりと手間がかかります。
その手間を書けないと質の良いわかりやすい文章にはなりません。
ただ、それが苦痛かというとそんなことはなく、ヤミツキテレビの動画を作るのと同じぐらい楽しんで記事を書いています。
ブログの更新とかは、やっぱり楽しくなきゃ続けられないなと思います。
それは、ヤミツキテレビの方にも言えるんですが・・・
こういった毎日コツコツ作業するのが苦手な人は、やめておいた方が良いかもしれません。
闇島は、結構毎日コツコツやるっていうのが好きなんです。
継続は力なりといいますしね。
今は、ブログの更新が好き!
そして、何より今はブログの更新が好きです!
今までブログを書いてみたことは何度かあるのですが、どれもこれも駄目でした。
しかし、ヤミツキ公式ブログとして皆さんに色んな情報をお伝えできるというのが、今はとっても楽しいんです!
楽しい気持ちでブログを更新し続けれたのは、これが初めてかもしれません。
それだけ、見てくれる人がいるというのはモチベーションになるんだなぁと思います!
ですので、まだまだ発展途上のブログですが、こちらもヤミツキテレビと同じく末永くお付き合いしていただければ幸いです!
どうぞ、よろしくお願いします!!
それでは、闇島でした!
ディスカッション
コメント一覧
闇島さん、こんにちは!いつも楽しみ、そして、楽しませてもらっております。ありがとうございます。闇島さんがブログを更新して下さって、本当に嬉しいです。
以前、ベトナムと日本の怖い話を比較したベトナム人の者で、返答して下さって本当に嬉しかったです。
( ̄∇ ̄) 長文になりますが、ベトナム風の怖い話を記載させて頂きます。闇島さんにとって面白く、怖い話になると、願っています。
「鏡からの追跡者」
俺は親父と親子2人だけで暮らしていた。小さい頃に母が病死し、親父と2人で何とか悲しみと苦しみを乗り越え、支え合い、苦労を分かち合った。だが、俺は中学生になってから、親父とは関係が険悪になっていった。今思えば、親父は俺にしばしば手を挙げたりしたのだが、それは仕事と家事を両立し、必死に頑張り、一人で俺を守り支えようとした故の孤独感や不安感、疲労困憊、そして俺自身も思春期・反抗期に入って、手が負えない子供になった事も相まったからだろう。そして、親父は苦境と苦労の日々が続く中、俺を愛していたと、後々になって、心の底から分かったのだった。
俺が高校生になると、半ば自暴自棄となり、自分の我がままと溢れんばかりの怒り・悲しみを力に変え、親父とは激しく喧嘩し、学校では授業を放棄して、他の生徒達や先生達と疎遠になり、一人で夜遊びや朝帰りを繰り返し、近所や親戚からも嫌悪されていった。俺は、自ら孤独と悲しみを深め、それを知りつつも、止められなかった。そして、鏡を見るたび、自分の顔に怒りと悲しみが、溢れ出していった。母親と死別した悲しみ、親父に対する罪悪感と嫌悪感、周りの人々への恐れと孤独感・・・俺は、鏡が大嫌いだった。
ある日、朝帰りで鍵を開け、家の中に入ると、親父が俺を待ち構えていた。そして、俺を思いっ切り殴り飛ばした。あの時、親父は確かに、目に涙を浮かべていたが、俺はそんな事に気付きもせず、激しく口論し合い、俺は自分の部屋に飛び込み、荷物をまとめ、バイトで貯めた貯金を全て持ち出し、家出の準備をした。親父は俺を制止しようとしたが、俺は怒り狂い、思いっ切り親父を突き飛ばした。そして家を出る前に、鏡を見た。自分の顔と殴られた跡を見て、親父と自分に対する怒りと、孤独感への悲しみをぶつけるように、鏡を殴り、壊してしまった。
「生まれて来なければ良かった!」と俺は絶叫した。そのまま、自転車に乗って家出をした。
俺はひとまず、格安のホテルに泊まった。チェックインをし、朝ご飯を食い、シャワーを浴び、そのまま飛び込むようにベッドに入り、熟睡した。夕方、俺は起きて、夜のバイトに向かう準備をした。歯を磨いている時に、鏡を見た時、一瞬、長髪の女性が自分の後ろにいた事に気付いた。俺は驚き、後ろを振り向いたが、誰もいなかった。「疲れてんだろうな。」そう思い、服を着替えて、ホテルを出り、自転車に乗り、バイトに向かった。
その晩、俺は真夜中までバイトをした。夜遅くまでに、いつもより頑張って料理を作り、運び、客と触れ合い、バイト仲間と会話をした。俺は気持ちが和らいでいった。だが、店長はなぜか俺お何度も覗き見た。俺はバイトを終えると、店長に聞いた。
俺「俺、今日何か間違ったのですか?」
店長「いや、その・・・お前、いつも以上に頑張り、他の人と話をしたようだが・・・
何かあったのか?」
俺「え?いや、特に・・・やっぱり急に変わると、不気味ですかね?」
店長「いや、それは良い事なんだけどな。・・・お前、どこかおかしいぞ。その・・・
何か不吉なものが、俺には感じるんだ。」
俺は急に不機嫌になり、「何もありません。失礼します。お疲れ様でした。」とまるで怒鳴るように出て行ってしまった。自分の家庭の事情や、内心を他人に推測される事は苦痛だった。自転車に乗り、ホテルに帰ろうとした。時間は真夜中で、その日は月も無く、電灯も人気も少なくなった。
疲れて早く帰りたかった俺は、いつもの道を通らず、近道をした。すると、ふと道中のミラーを見てみると、長髪の女性が立っているのが見えた。俺は後ろを振り返った。俺は驚愕した。
長髪の女性がこちらに向かっているのだ。長い髪が顔を覆い尽くし、そして何より、足だけが異常に長く、手と上半身を一切動かさず、俺の方に向かって歩いて来ている。それだけでも、もう怖かった。そして、俺が全速力で自転車を漕いで逃げ出し、後ろを振り向くと、女の人はもの凄い勢いでこちらに向かって走って来た。長い長い足で追い掛け、手と上半身を一切動かさなかった。俺は無我夢中でホテルに向かって自転車を漕いで行った。
ホテルが見え、そして人通りも見えて来ると、安心感から、俺はこれ以上ない程にまで自転車を漕ぎ出した。だが、角に差し掛かった時に、人が飛び出して来て、俺は慌ててブレーキを掛け、そして二人はお互いに驚いて、避け合い、俺は電柱にぶつかり、意識を失った。
気が付くと、なぜか俺は家の玄関にいる。真夜中で、真っ暗な中、何も見えなかった。足の方の感覚から、、地面に何か粉々になったものの上に立っている。そう、俺が粉々に壊した鏡の破片だ。そして体が動かない。動かせない。そして、見えなかったものの、俺は直感的に、目の前に、あの女の人がいる事が分かった。
女の人「捕まえた。」
俺は恐怖で、体全体が震え、冷や汗と涙が溢れ出した。
女の人「連れて逝ってあげるね。」
俺「い、嫌です。死にたくないです。お願いです。止めて下さい。お願いです。」
女の人「生まれて来なければ、良かった、って?お父さん、嫌い、憎い、って。今から・・・
死ぬのよ死ぬのよ死ぬのよ死ぬのよ死ぬのよ死ぬのよ死ぬのよ死ぬのよ死ぬのよ。」
女の人は、凍りつくほどに冷たい息を俺の顔と体全体に吹きかえ、俺はだんだん生気が失っていく気がした。
俺「い、嫌だ!俺は・・・俺は、親父に迷惑を掛けた。親父に苦労を掛けた。親父に謝りたい。
周りの人達にも、迷惑を掛けた。苦労を掛けた。謝りたい!俺は、俺は親父を愛しているよ!
母さんには、立派な息子に成長して見せてやりたい!お願いです、止めて下さい!」
すると、冷たい息が突然無くなり、女の人はしばらく黙りこみ、俺に優しくこう言った。
女の人「そう・・・分かった。」
女の人は、温かく、眠り気を誘うような程の息を、俺の顔と体全体に吹きかえ、俺の意識は、安心感と共に、意識を失った。気が付くと、俺は病室のベッドの上に寝ており、周りは親戚の人達に、近所の人達、学校の同級生達や担任の先生、バイト先の店長、そして、俺の側には、包帯を巻いた親父が、俺の右手を強く優しく握り締めており、皆、俺が目覚めた事に大喜びした。
その後、俺は警察の人と担当医師の人が、俺に事情を説明してくれた。俺はあの時、角から飛び出してぶつかりそうになった人は、俺の親父だった。俺の泊まっていたホテルの居場所が分かると、急いで駆け付けていた途中であった。そして俺は自転車に乗ったまま電柱にぶつかり、全身を強打して気絶し、親父も驚いて倒れ、全身を強打した。お互い流血していた。俺は意識を失っていたが、親父は意識があった。そして流血と激痛に耐えながら、号泣しながら必死に俺を抱き抱えていた。
父親「すまなかった。俺が間違っていた。寂しい思いをさせて悪かった。すまなかった・・・。」
俺の右手を強く優しく握り締めながら、親父は涙を流しながら、俺に言った。俺も、目から涙から一気に溢れ出し、悲しみ、苦しみ、そして、嬉しさと後悔・感謝の思いと共に、号泣して親父と抱きしめ合い、周りの人も、一緒に泣いてくれた。
退院すると、俺は病院の人とに感謝をし、警察・学校・近所・親戚の人々に謝罪をし、そして、親父に謝罪と感謝の言葉を述べ、お互い和解し合った。こうして俺は心を入れ替え、新しい生活を始めた。
今、親父は退職して年金暮らしに入り、安定した、楽しい老後生活を送っている。俺は妻子を持ち、親父は孫達とよく遊び回り、いつも遊び疲れたと愚痴りながら、笑っていた。俺は親父と妻子をしっかり守り養える社会人になり、妻子と共に、苦労しながも幸せな人生を送り、、親戚や近所の人達とも良い関係を築き、良き友人達を持っている。
そして、俺は鏡が大好きになった。自分の顔を見る度に、両親の息子としての誇り、社会人としての使命感、妻の夫として喜び、子供達の父としての責任感・・・俺は自分の存在意義と価値をはっきり自覚しているからだ。俺は鏡を見る度に、こう思った。
「生まれて来て良かった。生きていて良かった。ありがとう。頑張るぞ!」と。
長文失礼しました。最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ありがとうございます(´vωv`*)
精査して朗読できるようでしたらシてみたいとおもいます
闇島さん、こんにちは。
文章上手ですよおー。しつこいようですけど。
楽しんで書いていらっしゃる様子が伝わってきます。
勉強したんですか。お疲れ様です。流石完璧主義の闇島さん。
今日は8月29日、北朝鮮からミサイルが発射されて、携帯のアラートで目が覚めました。
きな臭い世の中になっていますね。どうなってしまうのでしょう。
現実的な恐怖で不安です。