「死霊館のシスター」と「へレディタリー継承」を見て感じた「映画における思想の影響」

どうも、闇島です。

先日、Netflixで「死霊館のシスター」(原題:THE NUN)を見ました。

死霊館と言えば、沢山のシリーズ作品があり、偽物も結構あるのでどれが正式シリーズでどれが偽物か分かりづらいんですが・・・
本作は死霊館エンフィールド事件に登場した「シスター」に纏わる過去の話です。

内容につきましては、安定したジェームズ・ワン節が聞いていて、良質なホラーだなと思います。
展開もわかりやすくドキドキさせたりショッキングなシーンも手抜かりありません。

とても安定感があり満足できる作品でした。
ホラーみたいな~っという軽い気持ちで見るには最高の一本だと思います。

 

さて、この作品を見た後、闇島は「へレディタリー継承」に思いを馳せました。
同じホラー映画であるにも関わらず、なぜここまで味わいが違うのだろうか・・・

ストーリーが違うとか、とり方が違うとか、そんなレベルではなく
明らかに何かが違う・・・
このおかしな感覚は何なんだろうと考えて一つの仮説を思いつきました。

 

この違いは・・・
原作者から滲み出る「人間への考え方」の違いなのではないかと

結論から言うと・・・
死霊館のジェームズ・ワン監督は根底には人間の素晴らしさや美しさ(性善説)を信じていて
へレディタリーのアリ・アスター監督は人間の闇や気持ち悪さ(性悪説)を表現しようとしてる
と感じるのです。

ジェームズ・ワン監督の死霊館シリーズは、観客を怖がらせつつも絶望に突き落とすことはありません。
必ず頼れる人がいて、解決の糸口をみんなで考えて悪魔と戦います。
人間の力や絆、愛を描いており、意志の力を信じていると思います。

一方、アリ・アスター監督の作品は、ショートドラマからして「家族同士の紛争」など、人間が一番身近で頼りになる家族という存在の欺瞞、危うさを書いています。
言い方が悪いですが、かなり斜に構えたものの見方をしているように思います。
が、実はアリ・アスター監督自身公言はしないけど家族と何らかの確執があったようです。

そういった経験から監督の中で人間に対する印象がかなり良くないものになっているのだと思います。
アリ・アスター監督の最新作の予告を見ても、その「人間不信」さをビリビリ感じます。

さらに表現的な部分を見ていくと・・・
ジェームズ・ワン監督はどうやったら人が怖がるのかをよく熟知していて、見ている我々はそれをワクワクしながら楽しむことができる言うなればホラーでもエンターテイメントのホラー映画なのです。

アリ・アスター監督の映画は、どうやったら人は不快になるのかをよく理解しています。
人を傷つける方法を知ってるのだと思います。
それを思いっきり叩きつけられますから見ている方は、あまりの悪意の情報量に胸がいっぱいになります。

エンターテイメントとしてのホラーは様々な角度で研究されて来ました。
ジャンスケとか過去の映画の技法を取り入れホラー映画業界は進化し続けています。

しかし、そこから明らかに異質な存在が現れた・・・
それがアリ・アスター監督に思えます。

彼の中の根底が他の映画監督と違うのだと、感じるのです。

これからも彼がどんなホラーを取るのかが楽しみですし、
ジェームズ・ワン監督が参加する良質なホラーもまだまだ味わいたいと思います。

闇島でした。

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