「嫌われてもいいや」と思えば人生が生きやすくなる

闇島です。

前回、こんなブログを書きました。

「嫌われたくない」という気持ちは誰しもが思う気持ちだと思います。
自ら嫌われたいなんて思って行動する人はいないんじゃないでしょうか。

基本的に人は誰に対しても嫌われたくないと思います。
しかし、前回のブログでも書きましたが、

どんなに偉大な人間であっても嫌う人は嫌います。

生きている限り、発言する限り、人に嫌われることはさけられません。
絶対嫌われないようにするためには、「何も言わず、何もせず、誰とも関わらない」ようにしなければいけないのではないでしょうか。
それって、生きてるっていえますかね?

 

生きてる限り、誰かに好かれるし、誰かに嫌われる。
相性が悪い、価値観が違う、生理的なものあるでしょう。
嫌われることは、避けられない事故みたいなものだと思います。
どんなに慎重に生きていても、嫌われる・・・
どうしたらいいんでしょう???

じゃあ、もうこの際、逆に考えちゃえばいいんじゃないででしょうか

「嫌われてもいいや」

何を言っても、何をしても嫌われることからは避けられない
ならば、もう嫌われてもしかたない、むしろ嫌われてもいいやという気持ちで生きていけばいいのではないのでしょうか?

(少し前に「嫌われる勇気」というアルフレッド・アドラーのアドラー心理学をわかりやすく解説した著書がベストセラーとなりましたね。)

嫌われることは、自分の力ではどうしようもない現象です。
嫌れるということに、我々はあまりにしても敏感になりすぎているのかもしれません。
嫌われたくない・・・できれば好かれたいっという気持ち
そもそも、「自分は嫌われない」というエゴがあるのかもしれません。

 

嫌われること恐れていては発言や、クリエイターなら作品を発表することは出来ません。
こうして、ブログを書くこと自体も、嫌われる行動の一つかもしれません。
(それが、その人のほんの一部分だとしても、嫌いになる人はそこをクローズアップします)

ですが、嫌われないように当たり障りのないことを書いたり、社会になんのメッセージも投げかねない作品を発表したりしたら・・・正直言ってそんな人のブログや作品は面白くないと思います。
なにも喋っていないのと同じですからね。

嫌われていることを恐れず、むしろ嫌われてもいいやと思い生きていくほうが、生きやすくなるのではないでしょうか?

そして、嫌われるぶん、誰かにも好かれるものです。
連日炎上している「嫌われている有名人」も、なんだかんだいって一部の人には好かれているものですし、本を出せば売れています。

嫌われることを恐れない、むしろ認める。
その生き方こそが、現代人には必要なのかもしれません。

以上、闇島でした。

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