朗読において訛りは、味か、癖か。

先日、闇島こんな発言をしました。

この意見に関して、沢山のファンの方から、「月子さんの訛りも含めて好きです」との声をいただきました。

そして、このツイートに対して、遠回しにこのようなご意見をいただきました。

反論します。

>>朗読において「訛り」が「味」って言う人がいますが~
まず闇島は、『その不完全さ(訛り)が「面白み」だったり「愛嬌」になったり「味」になったりするのかな。』と発言していますが、決して断言しているわけではありません。

確かに月子さんの朗読には訛りがあります。本人も認めるところです。
それでも、数多くのユーザーに支持される月子さんの朗読の魅力ってなんだろう?と闇島も理由を考えています。
声なのか、朗読の間なのか・・・その魅力を最大限に活かすにはどうしたら良いのか。

みんなが求めているもの、正解はなんなのか常に考えています。

もしかしたら、その魅力の一つが訛りだったり不完全な部分にもあるの「かもしれない」と思い、このようなツイートをしたわけです。
訛りは味だ!!!なんて、断言しているわけではありません。
そして、それに甘んじるつもりもありません。

完璧にはなれないけれども、完璧を目指し、残すべき不完全の可能性も視野に入れて成長していきたいと考えています。

>>「訛る」しか出来ないならそれは「味」では無くて「癖」だと思う。
そもそも「味かどうか」を判断するのはその朗読を聞いている「聞く側」です。
自身の癖と思っている部分が、聞いてる側には「味」と思われている「可能性」があるんです。

正解がわからない以上、その可能性を含めて考えなければいけません。

>>個性とかじゃなくて矯正すべき物
本当にそうなんでしょうか?
では、なぜ正しい発音が出来ない訛りのある月子さんは多くのユーザーに受け入れられているのでしょうか?
本当に矯正「すべき」ものなのでしょうか?

「こうあるべき」みたいな「べき」論は、思考停止そのものです。

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